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【お城旅】日本の名城100 No.13 白河小峰城(福島県白河市)

 

お世話になっております。

ひょんな事から福島県に行く事ができましたので、お城見学してきました!

まずはじめに白河小峰城(^^)

白河小峰城1871年明治4年)廃城になったお城。

 

立地についてはこちら。
東北本線白河駅の北側に位置する小峰ヶ岡と呼ばれる標高370mほどの独立丘陵(東西約450m、南北約80m)を利用して築城した梯郭式(ていかくしき)の平山城(ひらやまじろ)である。本丸はこの丘陵の西端に位置し、周辺の低地との高低差は25~30mほどある。史跡として指定されているのは本丸および二之丸の一部など約163,000平方メートルであるが、当時の城郭の範囲は約540,000平方メートルの規模と推定されている。

 

このあたりです。
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お城の概要はこちら!

小峰城は、南北朝期の興国・正平年間(1340~1369)に、結城宗広の嫡子親朝(小峰氏を創設)がこの丘陵に城を築いたのが始まりで、その後永正年間(1504~1520)以降に白河結城家の本城となったと推定される。その後天正18年(1590)豊臣秀吉により所領を没収されて、結城家による白河地方の支配は終った。

その後白河は会津領の一部となり、蒲生家や上杉家が領主をつとめ、城代がおかれた。蒲生秀行の時代には城下の整備も行われたと考えられる。寛永4年(1627)に10万石余で棚倉より入封し、初代白河藩主となった丹羽長重が同6年から約4年の歳月をかけて城郭の大改修を行った。

丹羽家以後、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部と7家21代にわたる白河藩主の居城となったが、慶応2年(1866)阿部家が棚倉へ移された後は幕領となり、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いにより落城した。

城郭の縄張りをみると、丘陵の頂部に本丸を設け、本丸より東側、南側にむけて二之丸、三之丸を設ける。曲輪の周囲には石垣や土塁、大小の堀を巡らし、南に大手門、北に搦手門(尾廻門)、東に田町門・横町門、西に会津門・道場門を設けている。全体としてやや不整な五角形をした城郭である。

現在は、本丸周辺から丘陵部北側の石垣や、堀の一部が残存しているだけであるが、これまで実施されてきた発掘調査により、各門跡の場所や、城内の建造物の一部などが確認されている。

平成3年には三重櫓、平成6年には前御門が歴史資料や発掘成果をもとに復元され、往時の姿を偲ばせている。

そして伝説も!

おとめ桜の伝説
寛永年間に城の大改修を行った際、本丸の石垣が何度も崩壊したため、人柱を立てることになり、人柱にするのはその日、最初に城に来た者ということに決まった。すると、最初に来たのは作事奉行和知平左衛門の娘「おとめ」だった。父は必死に「来るな」と手で合図をしたが、逆に「来い」という合図と勘違いしたおとめは捕らえられ、人柱にされてしまった。その後、石垣は無事完成し、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。現在三重櫓のすぐ横に植えられているおとめ桜は二代目で、初代は戊辰戦争の時に焼失している

 

戊辰戦争の弾痕が残っていました!

 

公園が併設されていて、当日も快晴に恵まれました。お城って天気によって見せる顔が違うからまた行きたくなっちゃうんですよね!

 

福島旅行初の場所に白河小峰城に行けてよかったです!

 

 

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